読書ガイド
信頼できない語り手の小説
語り手は嘘をついているのか、自分をごまかしているのか、それとも本当に分かっていないのか。タイプ別に選んだ6冊です。
このサイトの小説 · 第1作 日本語版
リミナル・フィクション ― 世界のはざまの列車
日本語版
語り手自身が何も覚えていない、というタイプが好きな人には、The Train Between Worlds(第1作、日本語版『リミナル・フィクション ― 世界のはざまの列車』)を。主人公エリオは、どうやって乗ったのか思い出せないまま列車の中で目を覚まし、読者は語り手と同じ速さでしか列車のことを知ることができません。トリックで驚かせる小説ではなく、記憶のかけらから「自分はなぜここにいるのか」を組み立て直していく、夢に近い物語です。日本語版はAmazon.co.jpのKindleで読めます(Kindle Unlimited対象)。
結論
信頼できない語り手の小説の入門なら、カズオ・イシグロ『日の名残り』です。品格ある執事が自分の人生を語るほど、語られていないことの方が大きく見えてくる。複数の証言が食い違う芥川龍之介『藪の中』、章ごとに語り手が替わる湊かなえ『告白』も定番です。読み終えてすぐ最初から読み返したくなる体験を求めるなら、乾くるみ『イニシエーション・ラブ』を。このページでは結末には触れません。
「信頼できない語り手」とは
「信頼できない語り手」とは、物語を語っている人物の言葉を、読者がそのまま信じることができない小説のことです。理由はさまざまで、意図的に嘘をつく語り手もいれば、自分に都合の悪いことから目をそらしている語り手、病気や記憶の欠落のために本当に分かっていない語り手もいます。
日本では「叙述トリック」という言葉もよく使われますが、こちらは作者が読者に仕掛ける文章上のトリック全般を指し、少し意味が広くなります。下の6冊は、語り手が信用できない「理由」で分けました。どれも、そう知った上で読んでも面白さが損なわれない本を選んでいます。
自分をごまかす語り手
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日の名残り
1956年、英国の名家に長年仕えてきた執事スティーブンスが、短い自動車旅行に出る。道中、かつての主人ダーリントン卿への敬意や、父のこと、女中頭への思いを回想していく。彼の語りは丁寧で、品格があり、嘘はひとつもない。それなのに、読み進めるほど、彼が見ないようにしてきたものの大きさが行間からにじみ出てきます。「信頼できない語り手」という言葉を説明するときに真っ先に挙げられる、静かで、痛切な傑作。土屋政雄の訳文も美しい。
- 向かない人:
大きな事件や謎解きを期待する人。何も起きないように見える旅の話で、変化はすべて語り手の内側にあります。
確認した情報源: 国立国会図書館サーチ:日の名残り(ハヤカワepi文庫、2001年、土屋政雄訳), 紀伊國屋書店:ハヤカワepi文庫版
食い違う証言、替わる語り手
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藪の中(『地獄変・偸盗』所収)
藪の中で男の死体が見つかる。発見した木樵、通りかかった旅法師、捕らえられた盗人、男の妻、そして巫女の口を借りた死者自身が、それぞれ事件を語る。ところが、その証言が肝心なところで食い違う。誰が嘘をついているのか、あるいは全員なのか。わずか十数ページで「語り手を信じられない」という感覚を完璧に体験できる、日本の短編の古典です。黒澤明の映画『羅生門』の原作のひとつでもあります。
- 向かない人:
最後に答えが示されないと気が済まない人。百年以上、読者が議論を続けている作品です。
確認した情報源: 新潮社:地獄変・偸盗(新潮文庫、「藪の中」収録)
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告白
終業式の日、中学校の教師・森口悠子は、教室で生徒たちに語り始める。自分の娘の死は事故ではなかった、犯人はこのクラスにいる、と。続く章では、関係者たちがそれぞれのモノローグで同じ出来事を語り直し、そのたびに見えていた景色が反転します。一人ひとりの語りには、自分を正当化したい気持ちが必ず混ざっている。語り手が替わるたびに疑いが深まる構成は、この分野の日本のベストセラーの代表格です。本屋大賞受賞作。
- 向かない人:
少年犯罪や子どもの死を扱う物語がつらい人。容赦のない、後味の悪さで知られる本です。
確認した情報源: 紀伊國屋書店:双葉文庫版 告白
予告編(30秒)
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ゴーン・ガール
結婚五周年の記念日に、妻エイミーが姿を消す。家には争った形跡があり、アリバイのない夫ニックに疑いがかかる。物語はニックの語りと、エイミーの日記が交互に進み、夫婦それぞれの言い分から、まったく違う二つの結婚生活が浮かび上がる。どちらの語りを信じるかで、読者自身が試される心理スリラーです。上下巻ですが、ページをめくる手が止まりません。映画化もされた全米ベストセラー。
- 向かない人:
登場人物に好感を持てないと読み進められない人。好きになれる人物はほとんど出てきません。
確認した情報源: 紀伊國屋書店:小学館文庫版 ゴーン・ガール(中谷友紀子訳)
読み終えた瞬間、最初から読み返したくなる
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イニシエーション・ラブ
1980年代を舞台にした、ほろ苦い青春の恋愛小説。そう思って読んでいると、最後の数行で物語がまったく別の姿を見せる。「必ず2回読みたくなる」という宣伝文句で知られる、日本の叙述ミステリの代表作です。何も知らずに読むのがいちばんなので、ここではこれ以上書きません。恋愛小説として読んでも十分に楽しく、二度目に読むと、あらゆる場面の意味が変わります。原書房から2004年に刊行され、のちに文庫化されました。
- 向かない人:
仕掛けがあると知ってしまうと楽しめない人。また、1980年代の風俗や音楽の話題が多く、そこに興味がないと前半が長く感じられます。
確認した情報源: 文藝春秋:イニシエーション・ラブ(文春文庫)
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ドグラ・マグラ
精神病院の一室で目を覚ました「私」は、自分が誰なのかを思い出せない。そこへ現れた博士たちは、ある事件と彼との関わりを語り始める。作中には論文や記録、文書が次々に挿入され、どこまでが現実でどこからが妄想なのか、読者も語り手と一緒に足場を失っていく。1935年刊、日本三大奇書のひとつに数えられる怪作です。記憶を失った語り手という意味では、このジャンルの極北と言えます。
- 向かない人:
読みやすさを重視する人。長く、難解で、途中で挫折する読者も多い本です。気軽な一冊を求めるなら後回しに。
確認した情報源: KADOKAWA:『ドグラ・マグラ』角川文庫版(上・下)と特装版のお知らせ, honto:ドグラ・マグラ(角川文庫)
このリストに入れなかった本
信頼できない語り手の「教科書」としてよく名前が挙がる海外の古典ミステリがいくつかありますが、作品名を出すだけで結末が分かってしまうものは、あえて外しました。叙述トリックの国内作品も同じ理由で最小限にしています。
記憶をなくした語り手が気になった人は、リミナルスペースを感じる小説もどうぞ。どこにも行き着かない場所で、自分が誰かを見失う物語を集めています。
よくある質問
読者からよく聞かれること
信頼できない語り手の小説で初心者におすすめは?
カズオ・イシグロ『日の名残り』です。トリックではなく、語り手が自分の人生をどう見ないようにしているかを味わう小説で、仕掛けを知っていても楽しめます。
「信頼できない語り手」と「叙述トリック」の違いは?
信頼できない語り手は、語っている人物の言葉に偏りや嘘、欠落がある小説のことです。叙述トリックは、作者が文章の書き方そのもので読者を誤解させる仕掛け全般を指し、語り手が正直でも成立します。
日本の小説で信頼できない語り手の代表作は?
短編なら芥川龍之介『藪の中』、現代のベストセラーなら湊かなえ『告白』がよく挙げられます。どちらも複数の語り手の言葉が食い違う作品です。
